本も出したし京大院にも受かったし整形だってしたのに今めちゃくちゃ死にたい

私が作家としてついに単行本を出すことができたのが、今年2月の話。

本を書いている時は、まさか世の中がこんなことになるなんて思わなくて、私は自分の本が発売される日の前夜、件のダイヤモンド・プリンセス号の集団感染のニュースを、大阪はユニバのオフィシャルホテルのデカいテレビ画面で、他人事みたいに見ていた。

日付が変わるころ、いつもより広いベッドに入ってスマホを見たら、担当編集から「いよいよ発売ですね」というメールが来ていて、ちょっとどきどきしながらその日は眠った。翌日ユニバに初めて行くこともあって、どきどき二倍増しだった。

翌日、ユニバのアトラクションの待ち時間にツイッターを見ると、知人の購入報告やそうでない人たちの感想が目に入ってきた。素直に嬉しいと思った。

一応、それなりに著名な方にも何人か献本を出していた。献本っていうのは、基本はお世話になっている人へ「本を出しました」っていう報告だが、あわよくばそれをSNSで紹介してほしいという欲もあって出すものだ。実際、今の世の中SNSがモノを買うきっかけの大部分を占めているし、もちろん一般の人の感想や購入報告も重要なのだが、影響力のある人に紹介してもらえたらそれほど心強いことはない。

だが、私が献本を出したほとんどの人は、私の本について一文字も出すことはなかった。

まあ、世の中こんなもんだよね。みんな忙しいしね。それにコロナで、世の中こんなことになっちゃったしね。しょうがないよね。そりゃ、本なんて読んでる場合じゃないよね。

って、自分に言い聞かせた。

本を出してから少し日が経つと、時々、誹謗中傷みたいなリプライや名指しのツイートも目に入った。わざわざ私をフォローしにきて、プロフィールにめちゃくちゃ私への悪口を書いていた猛者も現れた。

本には書いたが、私は昔匿名でツイッターをしていて、フォロワー数千人のアカウントをやっていたのだが、まあ見事にこんがり炎上したことがある。それは自分の発言がいけなかったというよりも、フォロワーが多いことに嫉妬していた周りの年上のフォロワーから袋叩きにされた感じである。そのときのトラウマがふっと頭をよぎった。

なんか疲れたし、私は、ツイッターを辞めた。

 

***

 

でも、作家になったからには、本を出してこれで終わりじゃない。次の作品を書いて仕事に繋いでいかなければいけない。

そこで私は担当編集にしがみついて、次の本の話をした。そして書いた小説を読んでもらったのだが、あっさり没を食らった。

曰く、文芸作品の、特に小説の出版のハードルは、ビジネス書や新書のそれに比べて、年々上がっているらしい。よほどガツンと来るものでなければ、企画に通すことはできないらしい。(逆に言えば一作目にはそれがあったから企画が通ったのだが……)

いい編集さんなので、また書けたら見ますよ、と励ましてくれた。そして、最後にこんなことを言われた。

「やっぱり、SNSでの宣伝はやった方がいいです。申し訳ないんですが、もう出版社の営業だけじゃどうしてもだめになってるんです。著者の人の集客力に頼らないと、本が売れない時代なんですよ」

ああ、やっぱり、ツイッターやらなきゃいけないんだ。

またフォロワー0人から、私はスタートした。

 

***

 

SNSマーケティングで一番大事なことは、傷つくことを恐れずに、エゴサをして自分への意見を拾ってひたすらRTして拡散することらしい。

私はそれまで、自分の本のAmazonレビューすら読んでいなかったのだけど、一応読むことにした。

結構評価はよくて、今この記事を書いている時点で、レビュー22件で☆4.8。

とりあえずボロクソは言われていなさそうだったので、恐る恐るマウスカーソルして読み進めていくと、「顔出しをしていないので☆-1」というレビューが出てきた。

 

…?

 

顔出しをしていないと☆―1なの? いやどういう理屈?

文章の良し悪しとか、作風とか、そういうところで評価されるんじゃないの、作家って。

 

朝日新聞社のインタビューを受けたとき、担当編集に顔出しすべきか否かを聞いたときのことを思い出した。

「一応、顔出ししておいた方が、お仕事が増える可能性があります」

だとかなんだとか言っていたような。

でも私はそれに逆らって、顔出しを上手くしないように写真を撮ってもらった。理由はもちろん、顔出しをするのが嫌だから。容姿のことを他人に批評されるのが嫌だから。作品の批評は、それを生業にすると決めた以上受け入れるけど。

だから、顔出さないで逃げ切ろうとしたのに、そうしたら「☆-1」だって。笑っちゃうね。

そんなことを考えて、毎晩思うようになった。私が容姿のことを他人に批評されるのが嫌なのは、やっぱり自分のことが嫌いだし、自分の容姿に自信がないからだった。

大学に入ってから、これでも多少は洗練されたし、自分を好きになれたと思っていた。
中卒フリーターを脱出した20代前半の私は、年下の子ばかりに囲まれて、大学に通っていた。学科で一番美人だった子に「オトメさんって個性的なファッションだよね~♪」ってニコニコ言われたことがあった。私は全然気づいていなかったのだが、どうやら私の化粧やファッションが時々事故ってたのをバカにして言っていたらしい。

それに気づいてムカついてから、化粧もファッションもめちゃくちゃ勉強して、棚にある半分ぐらいのコスメはデパコスだし、プロの人に依頼してパーソナルカラー診断や骨格診断もしてもらった。
美容にある程度金をかけるようになって、自分に似合うものは何なのかを熟知したから、事故ることはほぼなくなった。

ここまで変わったのに、私の心が最後に変われない。

それはやっぱり、「顔」のせいなんじゃないか?と気づいた。

実は、戸籍上の名前も今年に変更している。色々あったが、これも根っこにあるのは「自分が大っ嫌いだったから」。家庭裁判所の申し立てのためになんだかんだと理由を付けたが、要は過去の自分をぶっ殺して生まれ変わるために名前を変えた。

過去の自分をぶっ殺したくて、学歴も戸籍上の名前もアップデートしても変わっていないものが、そう、顔。化粧でいくら綺麗に化けたって、夜になってメイクを落とせばいつだって醜い自分と顔を合わせることになる。

私は自分が嫌い。写真を撮りたくない。自分で自分を愛するために変わりたい。

そんなこんなで、私は本の印税を元手に整形をすることにした。

 

詳細はまた別の時に語ろうと思うが、まあめちゃくちゃ痛かった。

目の真横をメスや注射針が通り過ぎ、叫んでしまうほどだった。顔は滅菌してあるので、手で触れてはならない。それでも触れたくなってしまう、痛いから。

助手の人に押さえつけられて拘束されて、なんとか終わった。

術後の確認のために手鏡を渡されて覗き込むと、血涙でぼろぼろで過去イチブスの自分がそこにはいた。「かがみよかがみ……」とか言う気も失せるぐらいに、バチボコに腫れてんじゃねーか。

でも、ダウンタイムが終わるとその腫れもみるみる引いて、術後はきれいになった。

その顔で院試の願書に使う証明写真を撮りに行ったけど、3×4cmの枠に印刷された自分はやっぱり嫌いで、今すぐ死ねと思った。

整形なんかしたって変わらないんだな。皮何ミリとかの話じゃない、私のもっと芯の部分に治ってない傷があるんだ。

 

***

 

作家の草鞋を履きつつも、私も本業は学生なので、学業をおろそかにしてはならない。

大学院試を9月に控えていて、顔面工事なんかしつつもちゃんと夏はゴリゴリ論文を書いて、ちゃんとめちゃくちゃ勉強した。

そして、京大の大学院に受かった。

試験本番で体調崩して語学も専門科目(社会学)もひどい有様だったが、事前に論文をきちんと提出していたおかげで命拾いしたらしい。
面接が良かった、と指導教員の先生は言ってくれていたけど、私の本を読んでくれているので、きっと面接の点数で調整して忖度してくれたんだろうな、と思った。

色んな人からすごいとか頑張ったとか言われたけど、どの言葉も全然心にしみてこなくて、むしろ超撥水してる。だってたぶん私の実力じゃないから。

指導教員になる予定の先生と何度か面談をした。
私のSNSやブログ(ここ)を結構見てくれているらしい。嬉しいというよりかは、ぶっちゃけ「マジかよ……」って思った。やめて、私を見ないで。

SNSは、その時、やる気なく一応ぼそぼそと忘れられない程度に更新していた。それについて、私のツイッターを逐一チェックしていた先生から「フォロワー数が少ないから、知り合いの人ばかりなのかな」と言われて、地味に傷ついた。

もう、どうでもいい。どうでもいいんだよね。

 

***

 

でも”おこぼれ”とはいえ、いちおう京大院に受かったので、勉強本を出すことにした。

学部からずっと京大の人にはロンダ乙wwなんて叩かれそうではあるが、とにかく自分が持ってるあらゆる資産を解体して、文章にして、とにかく次の仕事につなげなければと思っていたので、それ系の出版社に打診して、見事に企画を拾ってもらうことができた。

 

すると、まーーた、SNSマーケティングの話になり、編集さんにフォロワー数を聞かれて、「ああ、またか」と私は思った。

フォロワー数がドラゴンボールのスカウターの戦闘力みたいになったのは一体いつからだったっけ。前にどっかで聞いた、「モデルがオーディションの時にインスタのフォロワー数を聞かれるから、フォロワーを金で買っている」という話を思い出した。私も買ったら楽になれるかな。一度は言ってみたいよ、「私のフォロワーは53万人です」って。

 

しかし、現状がダメだって、頑張ってる姿勢を見せれば評価されることだってある。

私はオンライン打合せで「最近SNSマーケティング頑張ってるんですよ!」とアピールして、youtubeを始めようと思ってるんです、なんてツイッターでもそれっぽいことを言ってみて、ちょっと頑張っちゃったりなんかした。
編集さんが気を利かせて、その出版社で過去にヒットしたSNSマーケティングの本も送ってくれたりもした。

でもTwitterでは相変わらず、ほぼ無難な発言しかできない。以前、匿名とはいえフォロワーが数千人もいたのは、歯に衣着せぬ物言いをしていたからだと思う。(今でもそれでバズってる系のアカウントがあるが、私のはそれ+日常系みたいな感じだった)

でも、今は無理。匿名じゃないもん。変なこと言って、アンチを作りたくない。

 

とにかくTwitterはおいておき、youtubeをしてみよう。

撮影はiphoneだけど、それを立てる三脚やでかいリングライトはしっかり買って、編集ソフトだって自腹で買った。計3万円ぐらい。このあたりで、貯金と一緒に私の中の何かが減る音がし始めた。

幸い無料で手に入ったのは撮影場所。(家賃払ってるって考えると無料ではないのだが……)
夫と一緒に暮らす予定で引っ越したマンションだが、夫がまだ東京で仕事をして引っ越してきていないため、そこが一つ空いていた。寝る間も惜しんで研究したyoutuberたちの喋りを全て自分に落とし込み、何も家具がなくてよく声が反響する部屋の中で、一人でいろいろ喋ってみた。

だけど、整形したって自分が嫌いな私だもん。編集ソフトつけて録画を開いた瞬間に、小ゲロ吐きそうになった。

最終的によくわからん、タイムラプス撮影で自分の作業風景を写したものになった。これはiphoneさえあれば撮影できるから、リングライトとかその辺の道具は全部無駄になってるし、宣伝になってるのかすらよくわからん。(けどがんばったことだけは確か)

 

youtubeが一段落ついたころ、出版社から送られてきたSNSマーケティングの本が届き、本当はやる気なんかどこにもなかったのに、無理やり空エンジンふかした脳みそサイコ状態の私は「よっしゃー!!がんばるぞーー!!」といろいろ実践してみた。

 

「自分の顧客になりそうなユーザーのツイートにいいねをする」ふむふむ。

「話題提供をしてフォロワーを巻き込んでTLメイクする」これぐらいならできそうだ!

「有名人やインフルエンサーに絡む」がんばるぞ!!

 

結果から言うと、メンタルが死んだ。

慣れないことはするもんじゃない。SNS大好きなひとならできるかもしれないんだけど(実際にTwitter毎日何十回も更新してる作家さんとかいるし)、たとえば卵アレルギーの人が克服のため!!とか言っていきなり大量に卵食ってもアナフィラキシーショック起こして死ぬだけなのである。

1つ目はまあまあ効果はあったけど、有名人やインフルエンサーは基本的にスルーするし(お高く留まりやがってとか思うけど、絡んでくる人が多いからいちいちそれに返してたら中の人も身が持たないからね)、自分もされたら嬉しいからと思って本の紹介とかしてみたけど、特になにかあるわけでもない。むしろフォロワーちょっと減る。

 

そんなことをしていて、きのう、11月の最終日。

京都の大きい本屋に行き、SNSマーケティングの本をたんまり抱えた帰りの電車の中で、ふと、気づいてしまった。

あれ、私、今月、小説1ページも書いてなくね?

 

担当編集に書けたら見せることを約束していたのに。私、何も書いてないじゃん。もう年末だよ。

私の仕事はSNSをやることじゃなくて、文章を書くことなのに、なんでこんなことになってるの?

 

気がついてしまった瞬間、一気に虚無が襲い掛かってきた。

あーこの感覚、超久しぶり。

 

涙が止まらない。最寄り駅について電車を降りた瞬間、同時に涙がゲリラ豪雨みたいに流れてきた。さっきまであんなにやる気に満ちてたのに、コロっと土砂降り。

でも悪天候になる兆候はあったんだよ。自分で無理矢理頑張ってるってことに、自分でもうすうす気づいてたんだけど、気づかないふりをしてたのは、やっぱり自分だった。

今すぐこの両手いっぱいのSNSなんちゃらの本を捨ててえ。

知るか、もう知るか!!!!!!!!!!!!!

 

泣きながら自宅のマンションについて、エレベーターのボタンを押した。私が今住んでるのは7階だった。

私は昔、6階から飛び降りて自殺未遂をしたことがある。超幸運(悪運)で、背中の切り傷以外に後遺症が残らず生還したけど。

7階について、エレベーターのドアが開いた。涙でにじんだ、滋賀の綺麗な夜景が目の前に広がっている。

悪魔のささやきが聞こえた。今度こそ死ねるかもしれないって。

膝が震えた。私は深呼吸をして、外の景色を見ないように、ただずっと足元だけを見て自宅のドアの前まで歩いた。

そして、ようやく、今の自分がかなりヤバい精神状態にあることに気がついたのだった。

 

玄関に雪崩れ込んで、赤ちゃんみたいに大泣きした。紙袋が破れて、ポップな表紙のビジネス書とかSNS指南書が雪崩れてきた。全部この場でビリビリに引き裂いてやろうと思ったけど、「これ全部メルカリで売った方がいいかも」と冷静に判断した自分がいたので、それはしなかった。あと単純に、自分も本をつくる人間として、罪のないその本たちを痛めつけるのはさすがにどうかと思ったからだ。

死んでやる!!!!!!!!!!!!!

そう思って、家族や友人知人にめっちゃ電話してめっちゃ泣きました。そしたらみんなめっちゃ心配してくれました。友人らは1時間も話を聞いてくれて、励ましてくれました。(@各位 キャス本当にありがとう)

そしたら、「なんで私が死ななきゃいけねえんだよ!!!!!!!!!!!!」という気持ちになってきて、今現在も逆ギレしてま~~~~~~~す!!!!!

だって私にはこんなに話を聞いてくれる人がいるんだもん、

ぜって~~~~~~~~~~~死なねーからな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!死ぬぐらいならSNSなんかやってないで死ぬ気で本書きます!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

つか、著者の営業力に頼るぐらいならその分印税増しにしてくれ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!本出したときにSNS手当とか出してくれ!!!!!!!!!

でもとにかく私はもう自分の身も小説書く時間も削ってSNSマーケティングとかわけわからんことしたくないです!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!なぜなら!!!!!!!!!!!!!!私は、本を書くために作家になったからです!!!!!!!!!!!!!!!!!!SNSをやるために作家になったわけじゃありませ~~~~~~~~~~~ん!!!!!!!!!!!!

ワガママ???????????ああワガママで結構、私はSNSをやりたくないからやらない、やらなくていい、もうそれ以外の意見は認めねえ~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!知るか!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

Twitterアカウントは消したらまた怒られそうだし何らかの告知のために残しておくけど、もう告知以外で更新しないです!!!!!!!!代わりにこっちのブログをたくさん書きたいです無料のTwitterと違ってサーバー代クソたけーので!!!!!!!!!!!!!!!!

 

作家って大変なんだなとか、早乙女さん可哀そうとか!!!!!!思ってもいいけど!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!好きなことで金貰ってるくせに甘えてんじゃねえとか思ってもいいけど!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

同情するならクリスマスプレゼントくれ!!!!!!アンチになるならクリスマスプレゼントくれ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!はい!!Amazonほしいものリストのっけておきま~~~~~~~~~~~~~~~~~す!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/32EWO0S8GRJ3R?ref_=wl_share

 

以上!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

SNSはよ廃れないかな

 

あいにく鶏肉食べにくい。

11月の近況報告とマシュマロの返信などです。

せっかくサーバー代払っているので、月に1度はサイトを更新しようと頑張っているのですが、今月も何も更新していないことに気が付き、あわててすべり込み投稿です。

 

***

 

さて完全に日常の話ですが、私、早乙女かな子、この齢にして新しく嫌いな食べ物ができまして、なんと鶏肉が食えなくなりました。

ことの始まりにして終わりは今月の半ば、大学の学芸員科目の実習で、ある博物館に行ったときのことです。

実習先は動植物の標本などを扱う、いわゆる自然史系の博物館だったのですが、そのバックヤードを見学するという勉強でした。

詳細は書けないのですが、とにかく裏でトリの標本をつくっている人たちの作業を目の前で見てですね。

動物の剥製標本っていうのは、あれ、死骸の中身をくりぬいて、そこに綿を詰めて、なんやかんや処理して作成するものなんです。

その、くりぬく場面を目の前で見てしまいました。あろうことか、マッドサイエンティストみたいな男性に「ほらー!見てー!イナバウアー!!」と目の前で胸襟半分開いて血肉が飛び出た標本のなりそこないの死骸を見せつけられて、トラウマになってしまいました。トリなのに。

その日の夜は親子丼にしようと思っていて、家の冷蔵庫に鶏もも肉があったんですが、実習から帰宅してへとへとになってるはずなのに食欲がわかなさ過ぎて、その日から鶏肉が食べれなくなりました。

時間が経ったら大丈夫かなと思ったんですが、今スーパーで鶏肉のコーナーに寄ることもできなくて、本当に鶏肉ダメになりました。

@知人各位。私、本当に鶏肉ダメになったので、ご飯行くことがあったら焼き鳥屋とかやめてください、絶対に、冗談抜きで。水しか飲めねえ。
(牛豚は大丈夫なので、焼肉屋はオッケーです。)

 

***

 

マシュマロのほうにまだたくさんメッセージ入っててありがとうございます。

どこで返せばいいのかわからなくなってるんですが、たまにツイッターで返信しています。タイムラインに出ないようにしているので、私のプロフィール>ツイートと返信で遡るとたまに更新されてるかもしれません。

 

人生相談みたいなの下さる方もありがとうございます、、私でいいのかなとか思うのですが、きっと本を読んで信頼してメッセージくださってるのだなと思うと嬉しい限りです。

ちょっとお答えするのにツイッターじゃ字数足りなさそうなものをここで失礼しますね。

 

親と物理的に距離を置くことが可能であれば、そうすることをおすすめします。何らかの事情でそれがかなわない場合は、心理的距離を置くといいと思います。親のことを気にし過ぎないとか、逆に自分のことを全て話さないとか。
どれも難しいのですが、親もしょせんは他人だとドライに割り切っていくのがいいと思います。

独学だけど迷走しない勉強方法ですが、これは本当に私も難しいと思います。長期的な、確固たる目標があればいいと思うのですが、人間それを探すのも難しいので。ただ、とにかく、自分がこうありたいという理想だけは忘れないように勉強されてみてはいかがでしょうか。

最後の質問ですが、経歴変わってても、どうしてそうなったのかとか、自分がこれをやりたいというものが自分の言葉できちんと説明できれば問題ないと思います。

 

 

ありがとうございます。
鬼の首とる逆恨みタイプ、どこにでもいますよね~……。逆にそういう人ってプライドが高いっていうことが分かってるので、ちょっとわざとらしいぐらいおだてる感じで接していました。後はもう、「君子危うきに近寄らず」です。関わるとロクなことないので、必要以上に接点を持たないようにして乗り切りました。

職場での人間関係に関して面白い本を読んだので、共有しますね~。
これを読むとちょっと世渡り上手になれるかも、しれないです。(こういう図版系の読み物最近好きなんですよね~。)

自尊心や自信を失いそうになった時ですが、自分の数少ない成功体験を思い出して頑張っています。「これを乗り越えてきた自分なら大丈夫」って思えば、なんとかなるような気がして。そういう根拠のなさも時には必要かもしれません、と、私も最近いろいろあって思いました。

 

みなさん色々あるんですね。。

勉強方法等の質問に関しては、Twitterでさらっとお答えしています。みなさんがどんなことを知りたいのか、勉強本を作る上でとても参考になっています!ありがとうございます。

まだまだ何かあればこちらからどうぞ。

スペース〇〇

近況報告とかです。

 

まもなく滋賀県に引っ越す予定なんですが、先月も院試の後に滋賀へ旅行にいってました。滋賀大好きか。

というか、片倉氏の実家が滋賀にあるので必然的に年2回以上は必ず行くことに。さすがに数年そんな感じで通っていると、もう地元並みに地理に詳しくなってしまった……。

 

スペース鍋、スペースうな重、スペース近江牛、スペースたねやのカステラ、などを食べました。

ヤムヤム

 

たねやの八幡カステラは近江八幡のラコリーナで食べられるやつですね。

滋賀県外の人のために説明すると、近江八幡市にお菓子専門の大きい商業施設「ラコリーナ」なるものがありましてですね。

不便な場所にありながらも、夢のような広さのお菓子屋さん×自然豊かな土地という相乗効果で大人もはしゃぎます。

そんな人気スポットだったんで混雑が心配だったんですが、連休の次の日ぐらいに行ったため、ガラッガラでした。

 

ここ本当にラコリーナか????てぐらい空いてました スイスの草原?

私は車の免許を持っていないため、毎度片倉氏が運転していつも連れてきてくれるんですが、駐車場が過去イチで空いていたため、逆に駐車の場所に困るという事態に陥りました。

(そう、私、資格20個以上もっててなぜか普通車の免許持っていないんです……本当になんで……? )

ラコリーナもコロナ禍で大変だろうに、ソーシャルディスタンスに工夫されて営業していました

バウムクーヘンがマスクつけてた

 

 

それにしても今年の夏休みは秒で終わってしまった……。

コロナで前期授業の開始がずれこんで、まあそんなに授業取ってなかったんで被害はなかったんだけども、院試やら何やらであんまり休んだ気がしませんでした。

実は院試の試験中に貧血になり、別室受験になる事故が発生してですね、まぎれもなく過去イチで最悪な試験でした。センター試験の数学のときにお腹痛くなって途中退出したことはあったんですけど、あれの5000億倍キツイやつだったので、もう二度とやりたくありません。本当に受かってよかった。

その後、ずっと具合悪かったこともあって病院行って検査してもらったんですが、何も異常はなく。

原因は飲んでいたピルだったらしい。院試の日程に生理が当たりそうになり、低用量ピルを飲んで生理日を無理矢理ずらそうとしたのだが、おそらくピルが体に合ってなかったみたいで。

無理に抗わず自然に任せてた方がよかったのかもしれない……。勉強になった……。3キロ痩せた……。

 

あと院試の時に泊まったホテルの冷蔵庫に二リットルの水入ってたんだけどダイナミックすぎません??

ふつう500mlじゃないのか……

 

夜めっちゃ空調の音すごいしラブホ改装した感が強い印象的なホテルでした!

 

◇◇◇

 

マシュマロにメッセージ色々入れてくださってありがとうございます。

何か思ったよりもいっぱいきてびっくりしました。

みなさんがどういったことを知りたいのかな、というのを把握できて、勉強に関する本を書く上でとても参考になりました。

今まで小説とかエッセイしか書いてこなくて、そういったジャンルに初めて挑戦するのですが、きちんと皆さんの手元に本が届くところまで漕ぎつけられるように頑張りたいです。

本の感想とかもありがとうございます~

 

追加で何かあればどうぞ↓

マシュマロ

 

ところでアニメヒプノシスマイク、インフルエンザの時に見る夢みたいなテンションで来週も気になります!!!!!!!!!!!

今期はおそ松、ゴカム、ひぐらしと毎週忙しいので、身体壊さない程度にオタクしていきます。

 

元中卒フリーターが京大院生になる話

報告を。

来年から、京都大学大学院に進学することになりました。

執筆活動と並行して、研究をしていきたいと思います。分野は社会学です。

 

京大ってアクセス悪いけど立地がいいな~って思ってしまうのは、私が河原町や祇園のあたりの街並みが好きだからかもしれない。きらきらと水面を光らせて流れていく鴨川、その川べりに生える雑草のにおい、川床で食事を楽しむ人たちの話し声、等間隔カップル。

京大の院試の面接が終わった足で、友人と待ち合わせて先斗町でランチを食べた。風情のある感じだったのだが、私が店に入った瞬間雨が降り出して、遅れてやってきた友人がずぶ濡れになった。コロナへの配慮で店の扉と言う扉が全開なので、殺人豪雨の雨音に会話がかき消される。なんなの。

とはいえ、半年ぶりぐらいに会えたので、積もる話をした。彼女も大学院の受験生で、試験のために京都に滞在していたようだった。

その後、私たちの共通の友人の男性が合流することになり、三条で落ち合うことに。彼も大学院進学予定者で、既に試験を受け終わっていた。イオンモール草津にいたらしいのだが、わざわざ車でこちらまで来てくれた。

三人全員が知り合い同士なのだが、なにぶんインターネッツで知り合った関係なので、全員が同時に顔を合わせるのは初めてという、ちょっと奇妙なシチュエーションになった。でもこういう距離感スキだ・・・

三条でカラオケ3時間コースに突入し(最後の方眠くて死んでた)、終わるころには夕焼けのまあまあいい時間になっていた。

これから奈良に帰るのしんど、靴擦れやべえ、試験で前泊してて祇園のホテルに荷物預けっぱなしだわ、と嘆いてたら、車で来ていた友人に、祇園経由で京都駅まで送ってもらえることに。

車の中でみた夕焼けが最高にきれいだった。運転していた友人は、車が止まったタイミングでデジカメを構えて、ぱしゃぱしゃ撮影していた。

京都の夕焼けは、本当にきれいだ。

 

◇◇◇

 

勉強のハウツーについて、需要があれば書きたいな~と思ってるんですよね。
担当編集にも、どういう勉強の仕方をしたの?と聞かれたことがあり、ふと。

『パンツははいておけ』で初稿の段階では確か勉強のこともちょっと書いてたんですけど、最終的にだいぶ端折ったんで。

私は独学で、高卒認定、大学受験、大学編入、大学院試をやってきたわけなのですが、世の人はどういうことを知りたいのかな、とちょっと疑問に思っています。

コロナ禍で自学を強いられている(あるいは元から進んでそうしている)人も多いと思うので、「こういう話を聞きたい」みたいなのがあれば、マシュマロという便利ツールを設置しておくので、良かったらメッセージをどうぞ入れてください。もしハウツー的な何かを書くことになったときに、参考にさせていただきます。できれば勉強に関してでお願いします。

現役高校生でも大学生でも再入学でも資格取得中の方でも誰でも、どうぞ。

焼マシュマロとレシートマロだけは勘弁で。
(焼マシュマロはたぶんAIが弾きますが。)

 

マシュマロ

 

戸籍上の名前を変更(改名)してきた話

先日のエントリにも書きましたが、実は最近、改名をしました。

つまるところ、家庭裁判所にいって本名の改名許可を頂き、市役所行って戸籍上の名前を変更してきました。その記録です。

 

 

旧名前について

私のそれまでの下の名前は、実に珍しい名前であった。あまりない音の組み合わせで、よく他の名前と間違えられ、特に電話口などでは何度も聞き返されることがあった。

私はフリーター時代にしょっちゅうアルバイト先を変えていたのだが、職場を変えるたびに従業員登録される名前を間違えられ、ひどい場合だと振込先の口座の名義を間違えられ、給料が振り込まれていないことさえあった。(おいおい……)

そういった不都合以外の面でも、子どもの時からクラスの子に「珍しい名前だね」と、とても言われた。意地悪な男の子からは、「ヘンな名前!」といじられることもあった。中卒フリーターを経て、大学に通い始めてからでさえも、出席を取った爺さん先生に「不思議な名前!」とバカでかい声で言われて、肩をすくめたこともある。

で、そんな名前を付けたのはいったい誰かというと、私の父親、の、所属していた宗教団体である。

拙著『パンツははいておけ』に書いたのだが、私の父親は当時家庭内暴力がひどく、気に食わんことは拳と威嚇で解決の上、何でも俺が主導権を握らにゃすまん人で、夫婦同等に与えられるはずの、子どもの命名権すらも母親から奪い取った。

そんな背景があり、私の名前は、母親含む母方の親族が既にいくつか考えてくれていたらしいのだが、それを全て足蹴にする形で、父親の所属していた宗教団体から与えられた。

 

改名を思い立った理由

やはり、なんといっても、奇妙な名前で、出席のときや病院の待合場所などで呼ばれるのが恥ずかしかった。仲良くなった人でさえも、名前を呼んでほしくなかった。

そこで「片倉さん」こと現パートナーであるその人には、ずっと「かなこ」と呼んでもらっていた。表記は何度か変えているが、その名前をずっとペンネームで使っていたため、それをそのまま通称にした。

ちなみに、大学に入学してからはじめて片倉さんの親族に会ったのだが、彼の側の親族には、旧名は一切知らせておらず、ずっと「かなこ」で通している。

 

改名にいたるまで

だが、やはり、いつまでも戸籍上の名前と呼ばれている名前が違うというわけにも行かない。

2013年頃、改名について調べるようになった。まず出てきたのは、一時的な感情や、家族との不仲という理由だけで名前は変えられない、というシビアなコメントだった。肩を落とす。

しかし、一縷の望みを見つける。「戸籍上の氏名を必ず使用しなければいけない場以外では、使用したい名前を通称として使用し、その年数を積み重ねることで、改名が可能になる」という情報だった。

なるほど、とにかく通称を使用しまくって、周りに認識させればいいんだな。バイト先では無理だけど、とりあえず、手当たり次第、家族から始めるか。

まず、家族で唯一仲の良い兄。
「ふ~ん、よくわかんないけど、頑張って」
すごいドライな返答である。私の兄は興味のないことには本当に興味がない人間である。ただ、その後すぐにスマホのアドレス帳も「かなこ」に変えていたらしいので、案外理解のいいやつである。

次に、当時折り合いが悪くて別居していた母に電話。
「好きにすれば。私だってあの名前気に入ってなかったし、そもそも女の子にはもっとちゃんとした名前考えてあげようと思って(以下略)」
エンドレス愚痴が始まったので速攻切る。まあ、母も私に授けたかった名前をすべて却下されたので、そこに関しては納得はいってなかったようだ。

あとは、ポイントカードや自分宛の荷物など、そういう細かな所から地道に始めた。改名というのは、一朝一夕でどうにかなるもんではないのである。というか、簡単にどうにかなるシステムだったら、この世の秩序が崩壊するだろう。だから、致し方ない。そうやって自分を言い聞かせるしかないのだ。

 

2018年初めて改名を申請する

実は私、2回目の申し立てで改名を受理されたのである。

まず1回目の、棄却されてしまった申し立てのことについてお話しする。

これは私がまだ東京にいた時のことである。無事に中卒フリーターを脱し、2016年に東京理科大学に進学した私は、2018年4月に専攻を変えるために別の大学へ3年次編入することになっていた。

進学先も決まり、ほっとしていた私だったが、ふと、ここが改名のチャンスじゃないかと思い立つ。所属が変わるタイミングの方が、新しい名前に変更しやすいだろうと。

そこで、当時住んでいた管轄の家庭裁判所に改名の申し立てを送る。しばらくして、事情聴取の日取りを決める電話が来た。調停員による聴取ののち、裁判員に案件が伝えられ、申し立てが許可されるか却下されるか、当日に決まるとのことだった(申し立て人と裁判員は直接顔を合わせないらしい)。

で、せこせこと中央線で下り、家庭裁判所まで行く。当時、20数年生きてきて裁判所に行くのは初めての経験だったので、冷たくされるのかと思いきや、意外と調停員の女性が結構丁寧に聞き取ってくれて驚いた。

今まで使用してきた通称の実績(ポイントカードのコピーとか、通称名で届いた郵便物)も提示でき、正直、いけるやろ、と思った。だって、私の名前がつけられた背景には、当時DVをしていた父親の圧力があったわけなんだし。

調停員の方に、しばらくお待ちくださいと言われ、待合室のような場所で待機する。他にも何らかの事情で待っている人たちが数人いた。時折、他の調停員に呼ばれて退出する人がいたり、新しく入ってくる人がいたり、なんだかせわしなかった。だが、共通して全員私よりずっと年上で、どちらかと言えばその場は男性が多かった。みんな色々あるんだな。

10分後、待合室が私だけになった瞬間、部屋の外から私を担当してくれていた調停員の大きな声が聞こえた。

「だから、この子は頑張って今生活していて、名前を変えた方がこの子のためなんです!」

「だめ、そんな理由で、全く」

スタスタスタという二人分の大きな足音と一緒に、部屋の前を通り過ぎて行った。

え、これ、私のことだよね?

数分後、調停員の女性は私を別室に呼び、申し訳なさそうな顔をして、「裁判官は、今後の進学や就職に不利になるという理由で、改名を許可しませんでした。私の力が及ばず、申し訳ないです」と言った。

一度も私の顔を見ていない人が、勝手に私の進学やするかもわからない就職の心配をするって、何、どういうこと?

しかも、私は今の名前でしょっちゅう間違えられる不便さがあるから改名を希望しているのに、これ以上不利になることがあるもんか。

内部でどういった話し合いが行われていたのか、裁判官がどういう思考で私の改名を認めなかったのかは、当本人である私にさえ分からない。

そして、私は申し立てを棄却させられ、裁判所から帰ることになった。

立川駅構内の喫茶店で、シオシオとしおれながら、クランベリージュースを飲んだのを今でも覚えている。

 

2020年2回目の申し立てをする

それからも私は、通称を使えるところでは使用してきたし、ペンネームも変わらず「早乙女かな子」で通し、本も出した(ちなみに苗字の「早乙女」は本名である)。

その後また大学を編入することになり、奈良女子大学に編入して2年目の春の今年、件の自粛生活で家にいる日が続き、ふと思ったことがあったのだった。

「今なら、もう一回改名の申請しても損はないのでは?」

今住民票があるのは、奈良市である。ということは、当然申請先の裁判所も変わる。

正直、東京の某家庭裁判所での経験を思い出すたび、ぐっつぐつに腸が煮えくり返っていた。親身になってくれた調停員はともかく、廊下から聞こえてきた裁判官のだるそうな発言には頭に来てしまう。

――だが、今はもうそこが私の住んでいるところの管轄の裁判所ではない。もしかして、他の家庭裁判所だったら、違う結果が出るのではないか?

そうして私はもう一度、改名申請をすることにした。

2020年5月末、1回目と同じような手順で、事情聴取の日が来た(緊急事態宣言が長引いたことで一度日取りが変更になるハプニングはあったが)。

調停員の方はご年配の男性で、優しく話を聞いてくれ、やはり丁寧にメモを取っていた。2回目なので、私もあまり感情的にならず、理路整然と話すことが出来た。全てを話し終えると、裁判官との話し合いのために、調停員の方は席を外した。

広い部屋に私一人が残された。時勢の都合で窓が全開になっていたのだが、ちょうど暑い日だったので、吹き抜けてくる風が本当に気持ちよかった。

20分ぐらいしてから、調停員と書記の方が入ってきて、改名の許可がようやく降りた。

「改名をすることで、もう元の名前には戻れません。名前を変えたことで、大変なこともあるかもしれません。その覚悟を背負っていけますか」

調停員に念を押され、私は頷いた。

 

改名後の手続き

実は、家庭裁判所で許可が下りただけでは、改名したことにならない。自分で住民票のある役所か本籍地に行って届け出る必要がある。

市役所に届けが済んだら、銀行口座、クレジットカード、パスポート、あらゆるものについて名義変更をしなければならない。私は今まさにこの手続きに追われている段階にいる。

だが、自分で責任を持って改名すると決めたんだし、いくら面倒でもこれは自身が背負わなければならない業である。

余談ではあるが、妙齢の女が各機関の窓口に行って「名義を変更したいんですが」っていうと必ず「はい、ご苗字の変更ですね」とほぼ百発百中で言われるという新たな知見を得た。まあ姓を変更する人の方が多いし(特に女は結婚で)、普通は下の名前だとは思わないだろうが、だからといって苗字と決めつけて話を進めるのもどうかと感じる。

 

改名したい人へのアドバイス

2回目の申し立てで通った私からは、以下の2点を助言したい。

①とにかくできる限りの場所で通称を使用する
②家庭裁判所「ガチャ」はあると思う

特に私より下の世代にあると思うのが、「キラキラネーム」。これを改名したいと思っている人は多いだろう。

大事なのは、自分で将来使いたい名前を考え、その通称を今からでも使用しておくことだ。私の場合も、7年ほど通称を使用したという年数の積み重ねが大きかったようだ。

特に他者から送られてくる郵便物は「他者からその通称で認知されている」と判断できるものとして非常に有効らしいので、年賀状や暑中見舞いなどを、協力をしてもらえそうな友人や知人から、通称で送ってもらうと良い。

戸籍上の氏名でなくても良い場所(ポイントカード、美容室の予約、何かのファンクラブetc)では、積極的に通称を使った方が良い。

そして大事なのは、その名前で貰った郵便物や領収書などを、しっかりと取ってファイルに保管しておくことだ。これが多ければ多いほど、通称への変更が認められやすい。

それから、家庭裁判所によって当たりはずれ(=「ガチャ」)はどうやら存在していそうだ。ただそれのためだけに住民票を変えろとも言わないが、一度申し立てに失敗した方でも、引っ越す機会があったら、そこの管轄の家庭裁判所に再度申し立てしてみるのはやってみる価値がありそうだ。

 

これから子どもに名前をつける人へ

自分の名前は、自分でつけることが出来ない。名付けた人間の価値観に左右されてしまう。

最近は、人と被らない名前にしようとして奇抜な名前をつける親が多いそうだが、その子が年をとった時にどうか、ちゃんと思い留まって欲しい。わかりやすい方法として、後ろに(80)ってつけてみるがいい、テレビの字幕みたいなイメージで。今はどんなに可愛い子どもだって、やがて等しく大人になる。そしてシワシワのお年寄りにもなる。「〇〇さん(80)」ってしたときに、イタくないかどうか、よく考えて欲しい。

ちなみに私の旧名だと、後ろに(80)と付けたときにまあまあイタかった。若いうちに変えられてよかったぜ。

私はずーっとずーっと、「〇子」っていう名前に憧れてた。私の同年代にはまだそういう名前の子が少しだけいて、そういう子たちは「えーダサいじゃん」って言っていたけれど、本当に羨ましかった。
巷では「シワシワネーム」と言うらしいが、私は日本らしくて、可愛らしくて、スキだ。名前にはブームがあるらしいので、実は今、この「シワシワネーム」がじわじわ人気に返り咲いているとも聞いた(ところでシワシワネームって言うネーミングはどうにかならんのか?)。

私は今年でようやく、(紆余曲折経て)大学も卒業できそうで、戸籍上の名前も変えられて、ここからが私の本当の人生だと思っている。ちなみに改名した後に画数診断したら家庭運最悪だったけど、まあいいや。運命とは自分で捻じ曲げて、ぶっ壊していくもんだ。

 

以上はあくまで私の体験談である。改名の事情は多岐にわたるため、一概に「これならうまくいく」とは言えないが、参考までに、どうぞ。