上野千鶴子先生

もうだいぶ熱は冷めたようだが、例の東大式辞の件で上野千鶴子先生に賛否両論があり、それに関連して、ふと、取り留めもない思い出に書いておくことにする。

 

私は東京にいた頃、一度だけ上野先生にお会いしたことがある。2016年の秋だったと思う。私はその年、東京理科大学に入学していたが、既に自分の専攻に対してミスマッチを感じており、他大学への編入を考えていた。今までの自身の生い立ちを考えたときに、社会学、特にジェンダーをやりたいと思い、そんな折に手に取った上野先生の本に感化されて、この人を生で見てみたい、この人の話す言葉を、生で聞いてみたいと感じた。

そして、ちょうど東京ビッグサイトで開かれていた終末医療関係の学会公開シンポジウムに上野先生がいらっしゃると聞き、講演を拝聴したのちに直接話しかけに行ったというわけである。

公演が終わると、スーツを着たたくさんの人たちが、舞台下で上野先生を出待ちした。先生が壇上から降りると、競うように次々と自己紹介をし、名刺を渡していく。みんな、自分の肩書をこれでもかと言うほどご大層に言い連ね、上野先生に覚えてもらおうと必死な感じが伝わってくる。そんな雰囲気に居心地の悪さを感じて、まだスーツに着られているだけのぺーぺーな学生の私は、大人たちの最後尾に並び、もぞもぞしていた。

何分も待って、だぁれも会場に居なくなったとき、漸く上野先生の視線が私の方を向いた。上野先生は、私がしゃべりだすまで笑顔で、私の顔を見ていた。

「東京理科大学の、学生、です。あの、えっと、上野先生の本を読んで、社会学をやりたいと思って、専攻を変えようかと思ってるんです、それで今日は上野先生に会ってみたくて来ました……」

上野先生は、きょとんとしていたが、すぐに笑い飛ばして私を一蹴した。

「あはっ、社会学なんて儲からないわよ! そのまま理科大にいた方がいいんじゃない?」

ちーん、という音が聞こえた気がする。いや、本当に、なんか、「頑張れ!」とかそういう熱の入ったメッセージを期待していたからさ。でもまあ最終的には、そんな感じのエールを貰って、帰ることが出来たんだけれども。

上野先生は別れ際、握手をしてくれた。先生の手は、ひんやりとしていて、ご年齢相応のしわがあって(失礼)、だけど、とても力強かったのだ。骨にまで沁みたその握力に、長年戦ってきた女の力強さを感じた。

上野先生は覚えていらっしゃらないかもしれないが、私はその日のことをはっきりと覚えている。

あの日が、今の私の始まりだったのかもしれない。

 

そんな、取り留めもない、思い出。

 

そして、先生の忠告を聞かず、理科大辞めました。上野先生、スイマセン。