2分の1

最近、空がすごく綺麗に見える。夏だからっていうのもあると思うけど、目が覚めるような青の色を、毎朝コーヒーを飲みに行くドトールの窓から瞳に吸収している。

 

私の母は、2-3年前に、筋ジストロフィーという病気が原因で仕事を辞めた。定年退職よりも、はるかに早いリタイアだった。

数年前までは普通に勤務医として働いていたが、退職してからはもう、杖なしでは出かけられなくなったようだ。今思うと、子ども三人の学費を稼ぐために、母は本当に無茶な働き方をしていた。夜勤だって厭わなかったし、何日も家に帰ってこなかったこともあった。

実は、母の父、つまり、私の祖父も、60代にしてその病気で他界していた。私がまだ物心つく前だった。

筋ジストロフィーは、難病として指定されている病である。筋肉が急速に衰え、私の祖父は、最終的に心筋が衰えて心臓が動かなくなった。母も、たぶんその末路をたどるのだと思う。

で、母が最近この病気の遺伝子検査をしてきたと連絡をよこした。その結果、やはり、私たち子どもにも、それぞれ1/2の確率で病気が遺伝しているらしい。

 

元々短命の家系だし、10代の頃に散々自分を殺そうとして、死に直結するような自傷行為をたくさんしてきた私である。

さすがに今はもうしていないが、身体にはその名残がある。

自宅マンションの6階から飛び降りたときに、奇跡的に骨は折れていなく重篤な障害も残らなかったが、背中には枝で切り裂いたような傷ができた。人さまにはとても見せられるようなものではないので、私は大きいお風呂に入れない。温泉に行っても、絶対に人がいなさそうな時間を狙うか、露天風呂つきの部屋をあらかじめ予約しておく。

一度、2人の友人と大きなお風呂が部屋についているホテルに泊まったことがあったのだが、私は生理だと嘘をついて二人と風呂に入らなかった。すっぴんを見られることよりも、裸をみられることよりも、背中の傷を見られて、どうしたの?って聞かれるのが一番いやだ。ま、自業自得なんだけども。

それから、エッセイには書かなかったが、私はリチウムを含む抗うつ剤を大量服薬(オーバードーズ)して、死にかけたことがある。そのせいで腎機能にごく軽いが障害が残った(下手すると腎不全になる可能性があったのに、医者には奇跡的だとこれまた言われてしまった)。そのため、今も食事や生活習慣に人一倍気を付けた生活を送っている。

 

死のうとしたのに、悪運に悪運を重ねて生きさらばえてしまった私に、最後に立ちはだかったのは、自分の力ではどうしようもない、遺伝性の疾患だった。
でも、もうある程度の覚悟はできている。筋ジストロフィーが遺伝していても、していなくても、生きる覚悟しかない。

でも二分の一って結構デカいなあ、二つに一つかあ、などと、この頃毎朝ドトールで考えている。そのときに見上げる空が、鮮やかな青色なのは、ここ数年生きるのが楽しくなったからだろうなあと思う。

 

死んだようにフリーターをしていたあの時期、私の世界には色がなかった。季節の移り変わりすらもよく感じなかった。冬に街中を歩くと、コートを着る人が増えてきたから、自分もなんとなくコートを着るようになる。春になると、暖かいからコートを脱ぐんじゃなくて、周りにコートを着ている人がもういないから、自分も脱いでいた。

自分は常に世界の外側にいる観客だった。世界と言う巨大なスクリーンを、薄暗い一人ぼっちの劇場でずっと眺めていたような気分だった。

今の私は、自分の肌で季節の移り変わりを感じている。秋が深まると、天気予報を見て、コートをクローゼットから引っ張り出して、準備をしておく。なんなら、コートを選ぶ楽しみだってある。そして、最近暖かくなってきたなと思ったら、クリーニングに出してコートをしまう。大学に入ってしばらくしてから、それができるようになったのが、私は一番うれしい。

花をめでる心の余裕も出来たから、道端で出会った花の名前をよく調べる。このごろは、さるすべりの花がきれいだ。さるすべりは、漢字だと、百日紅と書く。早いと七月の初めぐらいから約三か月ぐらい、紅い花を咲かせ続ける。だから、この当て字らしい。

 

病気になっていても、なっていなくても、私は誰も恨んだりしない。その答え合わせがいつになるのかは分からないけれど、今日も花が綺麗で、空が青いから、それでいい。

何度も死のうとした世界の続きを見たくて、今日も私は生きている。